ルフェビュールによるベートーヴェンソナタ(続)

解釈は、苦悩をも取り込む、というものでした。

しかし、そこにどれだけ、人が生きる実際=人性論を説いても、音の配置には、「意味」の併記はありません。

解釈のいかんを問わず、視聴する映像のなかの音は美しいです。

わたしたちは、むしろ該当の曲には、昭和初年のころのわが国の楽壇におけるベートーヴェン解釈の水準をもってきたいところです。

「スルヤ」の人々のものを。